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CS-Column no.13
『大学バスケ界不動のNo.1シューター 〜努力の天才が歩んだ道のり〜 〈前半〉』

カテゴリ:青山学院大学バスケットボール部


― 2010年度 全日本学生バスケットボール選手権大会 優秀選手賞

― 2011年度 関東大学バスケットボール選手権大会 最優秀選手賞

― 2011年度 関東大学バスケットボール選手権大会 3Pランキング1位

輝かしい経歴を持つ青山学院大学バスケットボール部辻直人選手。その裏には人知れず努力をする姿があった。大学バスケNo1シューター辻の人生に迫ったーー

 

大学バスケットボール界で「絶対王者」として君臨する青山学院大学バスケットボール部。

その中でも絶対的な存在感を示し、ひと際輝かしい成績を誇る選手がいる。

青山学院大学4年 辻直人。




類い稀なバスケセンスとそのルックスで、大学バスケ界でも人気選手の1人である。

 

3Pシュートを悠々と決め、とても華やかに見える辻のプレー。

しかし、その裏には彼の知られざる努力の数々があった。




〜バスケットボールとの出会い〜





1989年9月。
大阪府羽曳野市にて辻は生まれた。

昔から体を動かすことが大好きな
明るく活発な少年だった。

 

辻がバスケットボールを本格的にやり始めたのは
小学校5年生の頃。

それまでは兄と共に、
父が監督を務めるソフトボールチームに入っており、
大会で最優秀投手賞を獲得するほどの腕前であった。

 

当時の将来の夢は野球選手。


「兄ちゃんの投げるボールが強すぎてみんな捕れないんで
 小2の俺が捕ってたんですよ。
本当何回もグローブごと吹っ飛びました(笑)」



(前列右から3番目: 辻選手/後列左端:兄 大地さん)



彼の中でスポーツが何でも出来る兄はとても大きな存在。

幼いころから何をやるにも
ずっと兄の後ろを追いかけていたという。



(左:兄 大地さん/右:辻選手)



バスケを始めたのも、
兄が始め、それをマネしたことが最初だった。

休み時間には
毎回兄の遊ぶバスケチームに混ぜてもらい一緒にバスケをしていた。

そのおかげでだんだんとバスケの魅力に虜になっていった辻は
兄が卒業した後も毎日ボールをつきながら登下校し、
休み時間も毎回友達とバスケを楽しんでいたという。



そんな辻を見て、
5年生の時、父親が地域のこども会の中に
バスケットボールクラブを創ってくれた。

 

しかし、当時周りの小学生が習うものといったら
水泳や野球、サッカーが主流。

バスケに興味があるという子もなかなかおらず、
集めたメンバーは普段から仲良く遊んでいる
幼なじみの友達グループであった。

 

初めは興味を示さなかった子も多かったが、
みんなと大好きなバスケをするために
その楽しさを一生懸命伝え、チームを結成していった。

 

こうして友情をもとに結成されたチームが
後に大切な辻のバスケの原点となる。

 

〜「努力の成果」を知った中学時代〜





中学に上がり、バスケを本格的にやっていきたいと考えた辻は、
ソフトボールとの両立を諦め、
ミニバスチームの仲間と共に、バスケットボール部への入部を選択した。

 

しかし辻が入学したのは普通の地元の中学校。

バスケ部は決して有名ではなく、監督はバスケに関して全くの素人。
いわゆる弱小チームであった。



「メンバーも強豪校と違って全然強力じゃなかったです。
 ただみんな真面目で、本当にバスケに対して一生懸命でした。」



バスケを極めることに
決していい環境とは言えなかった。

だがそんな環境の中でも、
バスケへの思いは他のどこのチームにも負けていなかった。



ミニバス時代面倒を見てくれていたコーチも
彼らの成長を見届けたいと、部活でもそのまま指導についた。

そのサポートもあり、
実力があるわけではなくとも、
ミニバスから一緒の仲間との間には固い信頼関係が育っていたのだ。



今までの練習通りでは自分たちの望む結果を残せない、と考えた部員達は
自ら懇願し、先生に無理を言って朝練を始めた。



普段の練習も活動日を増やし、これまでの練習環境を変えていった。



こうして練習量は以前よりも格段に増え、
部員のレベルの向上は周囲の目にも明らかとなる。
学校側も彼らの努力を高く評価するようになっていた。



ただ、コーチが指導に来る時間にも制限があったため、
辻が2年の時に兄の知り合いであった外部コーチを招聘することとなった。

これを機に、技術面精神面ともにバスケ部はさらなる成長を遂げることとなる。




この頃から、
辻個人としてもバスケの才能を着々と開花させていた。



(現三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ 佐藤託矢選手と)

 


2年次の新人戦、
「打てば入る」程、辻のシュートは正確だった。

 

ミニバス時代から
辻にはシュートへの特別な思い入れがあったそうだ。



「とにかく遠くから。
 入ったら気持ちいいし、とりあえずかっこ良く決めたかったんです。」



シュートに関しては誰にも負けたくなかった。
3Pシュートは、自分の武器にしたかったのだと言う。

 

そのために毎日朝から夜まで誰よりもひたすら練習した。



自分が満足するまで何回も何回もシュートを放ち、
シュートが決まる感覚を自分の中に植え付けていく。

 

そんな努力の積み重ねが実を結び、
学年が上がるにつれ
個人賞も多々受賞するようになっていった。



そして2年生の終わり、
ついに大阪府代表メンバーにまで選抜されたのだった。



辻個人の成長に比例し、
チームも実力をぐんぐんと伸ばしていった。



3年生、引退を目前とした夏。





バスケットボール部は開校以来史上初めて、
大阪府大会で優勝するという快挙を成し遂げた。

 

「ミニバスから一緒でしたからね。
 ずっとそのメンバーでやって来たから、
 優勝っていうのは、本当に嬉しかったです。」



小学生の時からずっと一緒にボールを追いかけていた仲間と
辻は「優勝」という、それは大きな記録を打ち立てたのであった。



〜大きなステップ 洛南高校バスケ部へ〜



しかし、満を持して迎えた近畿大会では予選敗退。
名門といわれる対戦校の実力を、身を以て知った。

 

高校進学を前にした辻には、大阪府代表メンバーでありながら、
バスケ強豪校といわれる高校からはどこも声がかかっていなかった。


だが、辻のバスケ人生は再び大きな転機を迎えることとなる。



周りも受験モードに突入し、
進路を考えていたある日、こうアドバイスを受けた。

 

「1回洛南高校の練習に参加してみたらいい。
 どんなものかその目で見て来なさい」

 

声をかけたのは大阪府バスケ連盟のスタッフ。
辻の才能を見抜いてかけた言葉だった。




実は人見知りだという辻。
嫌々父親に連れられ、洛南高校がある京都府まで出向き、
バスケットボール部の練習に参加した。

 

洛南高校バスケットボール部のスポーツ推薦枠は10。
この時、枠は既に埋まっていた。

 

ところが事態は変わり、辻にチャンスが訪れる。

 

練習に参加した数週間後、
推薦を1人辞退したという知らせが入ったのだ。

 

練習参加によって実力を認められた辻は
この偶然生まれた残りの1枠へ入り込むことが出来た。

 

「入るならすぐ合流して」

 

こうして言われるがまま
辻は名門洛南高校バスケットボール部の門を叩くこととなる。

 

すべりこみとも言える形で入部が決定した辻。
しかしレベルの高い洛南高校の練習を重ねるごとに力をつけていき、

1年のインターハイには周りのメンバーを抑え、
スターティングメンバーとして出場するまでになっていた。





そして2年に入り、新しいチームの体制へ変わった後は
チームを引っ張る「不動のレギュラー」として存在感を示すようになる。

 

レギュラーの座を獲得した辻だが、
決して慢心することなくひたすら努力を続けていく。



高校に入学してからも中学同様、
朝練は毎日誰よりも早く到着し

そして部活が終わってからも、
顧問に追い出されるまでずっと自主練を行っていた。



辻の練習内容は大概がシュート。



練習における本数というものは決めておらず、
練習時間ギリギリまで、自分が納得するまで、
ひたすらシュートを打ちまくった。



「監督は結構自由にやらせてくれました。
 でも教えてもらう部分はすごくわかりやすかったです。」





練習の環境も、チームの雰囲気も、
辻にはとてもやりやすいものであったようだ。



「まあ、監督は今年やばいなって思ってたみたいですけどね(笑)」



そんな辻を中心として成長をしていった洛南高校バスケ部だが、
意外な事に、この世代への期待は高くなかったそうだ。




実は、辻の同期には全中出場が1人しかいなかった。



地方大会で活躍した有名選手が集まっていたものの、
全国クラスのスター選手が集まったわけではなかったのだ。

シーズンの初めの方はなかなか苦戦を強いられ、
インターハイはベスト8。
国体も5位と、納得のいかない結果で終わってしまった。



しかし辻をはじめ、努力を重ねて行ったチームには
徐々に他のチームに負けない実力がついていった。



そして迎えた最後の大会であるウィンターカップ。

当時のスタメンは、

佐藤将斗(現中央大学)
田村晋(現明治大学)
谷口大智(現アメリカ留学中)
比江島慎(現青山学院大学)
辻直人(現青山学院大学)
の5人。

 

今見るとなんとも華やかなメンバーだが、
留学生を多く持つ他のチームに比べると
パワーや身体能力がどうしても劣るよう思われていた。



初戦、二回戦、さらに準々決勝まで
相手に30点以上差をつけて順調に勝ち進み、迎えた準決勝。



第1、第4ピリオドを相手にリードされるなど一進一退の戦いとなったが、
他のピリオドで得た点差を守り抜いて決勝へと駒を進めた。



相手は福岡第一高校。
試合は一進一退の攻防が続いた。






第1P 17-14
第2P 25-21
第3P 18-23





ここまで終えて、
洛南 60-58 福岡第一。
点差は、わずかに2。


しかし、最後にはチームの努力の成果が発揮される。




パワーや身体能力で劣る分を、
持ち前の走力で補い試合のペースをつかんだ。


第4P 18-15


結果 78-73。


2年連続3度目の優勝。



国体でもインターハイでも叶わなかった「優勝」。
チームは、最後の最後にそれを勝ち取った。






こうして辻の高校でのバスケ人生は
最高の形で幕を閉じたのであった。



(洛南高校バスケットボール部時代の恩師 作本監督と)



ここまで順調に来た
辻のバスケットボール人生。



しかし、新たな「大学バスケ」というステージで
辻は初めて挫折と苦悩を味わう事となる。




辻直人コラム
「 大学バスケ界不動のNo.1シューター
〜努力の天才が歩んだ道のり〜 〈後半〉 」



【writer】

CSPark編集部

【プロフィール】

 

CSPark編集部です。様々な競技・大学で活躍するHOTな選手やチームを取り上げていきます。



カテゴリ:青山学院大学 バスケットボール部

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