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CS-Column no.508
ラストイヤーで花を咲かせた男 帝京大学ラグビー部 牧田旦インタビュー

カテゴリ:帝京大学ラグビー部


 全国大学ラグビーフットボール選手権において前人未到の5連覇を達成し、名実共に大学ラグビー界における絶対王者となった帝京大学。その5連覇を達成した大会において、MVP級とも言える活躍をしたのが4年生の牧田旦である。特筆すべき点は、彼は4年生の9月にレギュラーを掴んだということ。部員数も150名を数えAチームからDチームまで要する彼らの中で、卒業直前とも言える時期にレギュラーを掴み取ったのだ。今回はそんな、異色の存在とも言える彼にレギュラー奪取までの経緯やこれからのラグビー人生について語ってもらった。

 

乗り物酔いが、結果的に近くの高校へ進学する理由へ。


ーまず最初に、ラグビーを初めた経緯を教えて下さい。

父親がラグビーを見るのが好きで、ちょうど地元に藤沢ラグビースクールというのがあるんですけど、そこで父がラグビーを見たかったらしくて。僕と兄を連れて行ったんですね。そこで初めるようになったというところです。兄が先にはじめて、その後に僕がやったという感じですね。自分が小1のときです。兄は2つ上です。

ーなるほど。他のスポーツをやる選択肢はなかったのですか?

実は、親からけっこういろいろなスポーツをやる経緯を与えてもらって。サッカーとバスケをやっていました。ただすぐやめてしまって。小学3年生のときにクラスのみんながやっていたということもあってサッカーを初めたんですけど、週6でサッカーをやって、週1でラグビーをやっていて、疲労骨折してしまったんですよね。それで親から"どちらかにしなさい"と。それでラグビーを選びました。ラグビースクールは中学校までやっていたので、週に1,2度通っていたという感じです。中学時代はバスケ部だったのですけど、すぐやめましたね。


ーそれでラグビーを続けたというわけですが、湘南工科大学付属高校を選んだ理由というのは?

僕、今は大丈夫なんですけど、昔は乗り物に弱くて(笑) 当時は電車で1,2時間かけて通学するのは考えられなかったんですよ。それで、自宅から近くてラグビーが強い高校を探した結果、湘南工科になりました。

ーそんな経緯があったんですね(笑) 他の高校からお話をもらったりはしていましたか?

兄は向上高校で、そこからお誘いもあったのですけど、ちょっと遠すぎて…(苦笑) 電車で2時間くらいかけるのだったら、(湘南工科大学付属高校は)自宅から自転車で5分〜10分くらいでいけるし、そのほうが他の時間も有効に使えるかなと思って、決断しました。

ー少し戻りますが、乗り物酔いはいつごろから持っていたんですか?

小学校3年生ごろから公式戦が始まるんですけど、その時期から遠くの会場で試合を市に行く際には電車を使うんですね。そこでけっこう酔っちゃって。他の人の車にのせてもらっていっていました。車でも酔うといえば酔うんですけど、電車やバスよりかは大丈夫でしたね。

ーでは、実際に入学した湘南工科大の強さはどの程度だったのでしょうか。

僕らの時は(県で)ベスト4でしたけど、常に8と4の間をさまよっているというか、そういう感じでした。

ーライバル校というか、当時はどこが強かったのですか?

慶応、桐蔭、日大が強かったです。僕らの第の湘南工科のメンバーが8人しかいなくて、1つ上も少なくて。1チーム作るのがギリギリという感じでした。


ー高校はいつまで部活を続けたのでしょうか。

11月くらいで引退でしたね。どうしても時期として冬頃になってしまうので、遅いですよね。ただ、勉強もしっかりしていい大学に行く人もいましたし、そういうところでは文武両道をしっかりできていたと思います。

ー牧田選手の代は、県でどの程度まで行ったのでしょうか。

最後は準決勝で桐蔭学園に負けました。50点ほど取られて、うちは5点しか取れなかったんですよ。やってきた仲間ともう一緒にできない悔しさを味わいましたね、

ー桐蔭といえば名門ですけど、そういう相手と戦ったことで感じられた部分はありましたか?

(桐蔭は)3年間の中でも、神奈川県の中でも一番といっていいほど厳しい練習に耐えてきたからこれだけ強いんだなと。そう感じましたね。

強豪への道を歩みだした帝京大学への進学

ー大学に入ってからもラグビーを続けようとはいつごろから思っていたのでしょうか。

基本的に、ラグビーでいけたらとは思っていて。2校くらい声を掛けて頂いて。ただコーチの方が帝京大のOBだったので、こちらに入学をさせて頂きました。

ーちょうど強豪校へと歩みだした時期ですね。

そうですね。僕が入るまえに全日本で優勝して、僕らの代までずっと優勝を続けてきました。

ーそんなチームに入ってみて、率直な感想はどうでしたか?

優勝しているチームなので、最初はビビっていました。ただ入ってみれば気さくな先輩方もいて、スタッフのかたも優しかったですし、面倒見のいい人ばかりで、とてもいい環境だなと感じましたね。

ーOBの方もたくさんいますしね。

そうですね、グラウンドまで足を運んでくれる人もたくさんいるので。そういうのを見て、やっぱり"愛されているチーム"なんだな。とは感じます。

ー実力面で4年生と差を大きく感じたと思います。

それはありました。バックスのスキルとか、ランニングのコース、キックの精度。そういう部分の基本的なところがまだ自分にはできてなくて。まだまだなんだなと感じましたね。なので、先輩をお手本にしながらやっていました。

ーその中でも特にお手本にしていた先輩はいたのでしょうか?

最初、入学したてのときはポジションがフルバックだったんですね。そこでは内田剛さんという方に色々と教えて頂きました。今はNTTドコモでプレーしています。僕が下のチームだった時に、よく教えてもらっていました。

ー部員が150人ほどいると聞きましたが、チーム数はどれくらいあるのですか?

A〜Dくらいまであります。1年のときはDチームですね。最初の方は体も出来てないので、上のチームで試合にでて怪我するリスクを負うよりは、下のチームでやったほうがいいと。

 

自身を変えた"食事係長"という役職

 
ーそこからスタートして、正直、Aチームに上がれるとは思いましたか?

もちろん、目指していたところではあったんですけど、自分の中ではそういうイメージがなくて。"どうやったらなれるかな"と。試合に出るチャンスはそこそこもらっていたのですが。周りの他の選手に比べれば試合に絡めていたほうなので、いい環境にいました。ただ、そのチャンスを活かすことができなくて、まわりからよくいじられました。3,4年生あたりで監督から「お前は1年生からチャンスを与えていたのに、モノに出来なかったな」と監督にも言われます。

ー与えられたチャンスというのは。

公式戦ではないんですけど、練習試合の中でチャンスを頂けることが多かったんです。ただそこで掴むことができなかったので、正式にレギュラーになることはなかったという感じです。

ー生かしきれなかった中でも監督は使い続けてくれたんですか?

僕自身、1年の12月に膝の靭帯を2本切ってしまって。そこから3年生の春まで試合に出てないので。ただ、そのあとも使ってもらえたので使い続けてもらえたという感じですかね。戻ってきた後はCチーム、Dチームだったんですけど、4年生の春から上のチームに出させてもらって。徐々に徐々にステップアップしていったというところです。

ー2本の靭帯を切るというのは相当だったと思います。

内側と前十字を切りました。全治は1年と言われましたね。メインのものを2本切ってしまって。復帰するまではずっとリハビリでした。

ー大学生活の中でも辛かった時期だったのではないでしょうか。

そうですね。何よりもラグビーが出来なかったのが辛かったです。ラグビーをするためにこの大学に入ってきたのに、それが出来ないというのはかなりキツかったです。一番楽しみにしていたものが取り上げられたというか。


ーそこから復帰するまでの間に、色んな人の支えが会ったと思います。

特にスタッフ、トレーナーの方にはお世話になりましたね。いろいろ愚痴を他の人に言ってしまうタイプなので、迷惑をかけたかと思います。4年になって監督からも「愚痴をよく言うときのプレーはよくなかった」と言われます。

ーなるほど。愚痴を言わないように意識するようになったのはいつごろですか?

意識するようになったというわけではないんですけど、3年になって食事係長という役職についてからは、あまり口にしなくなりましたね。

ーその係はどういうものでしょう

毎日の食事の配膳であったりとか、片付けとかですね。練習終わりが18:30頃で、そこから帰って、19時から22時くらいまで食堂に入り続けるんですよね。まずみんなにご飯を提供して、食べ終わった後に清掃して、という流れです。3年生の春からですね。

ーそれはどういう経緯で就任したんですか?

この役職は、時間と労力が奪われる仕事なので、みんなやりたがらないんですよね。そこで、立候補する人が出てこなくて。違う係を打診されてはいたんですけど、なかなか決まらなかったので、ちょっと正義感を出して自分がやることにしました(笑)

ー立派だと思います。ただ、その役職に就いたことはプラスだったのではないでしょうか。

本当にそう思います。自分の一番弱いところ、さっきも言ったようなすぐ愚痴を言ってしまったり、すぐ投げ出したりしてしまうことがなくなったので。ネガティブな部分が抜けたと思います。練習後にみんなが疲れて食堂に来た時に、自分も疲れた顔をしているのと、笑顔で迎えるのでは全然違うと思うので。そこでみんなが元気になれるように、自分から努力していった結果、愚痴を言うこととか"面倒くさい"と思う感情がなくなりました。本当にこの仕事をやってよかったと思います。

 

4年の9月に掴んだレギュラーの座


ー正式にレギュラーを掴んだのはいつごろなのですか?

対抗戦で筑波と戦ったあたりですかね。そこからようやく絡めるようになってきた。2013年の9月くらいです。4ヶ月前くらいですね。シーズン終わりのギリギリのところで出てこれたという感じです。

ーでは、怪我から復帰してから4年生の9月にレギュラーになるまでを振り返ってみると、いかがでしたか。

4年になる前の3月くらいに「最後の国立競技場のピッチに立つ」ということをノートに書いていて。4年生としての自覚と責任を持って日々の練習に取り組めたから、それを実現出来たんじゃないかなとは思っています。

ーでは、その全日本選手権を振り返ってみていかがですか。MVP級の活躍だったと思います。

本当に、楽しかったですね。その決勝まで行くプロセスを楽しめました。それで最終的に優勝ができたので。

ー5連覇がかかっているというプレッシャーはあったのではないでしょうか。

決勝の前、準決勝はちょっと緊張していて固かったんですけど、決勝戦は吹っ切れた感じです。ピッチの状態もよくて。ただやっぱり、応援がすごいじゃないですか。その光景をピッチに入った瞬間を見て、感動しましたね。

ー決勝戦を振り返るとどうでしょう。

ミスをしても、やるべきことはやってきたので。1つ1つのプレーに対しても「次へ次へ」という感じで切り替えてやることができました。

ーその決勝戦で、かなりピンポイントになるのですが、後半28分に早稲田が5点差まで追い上げてきた中で投入された野田選手を握手と笑顔で迎えましたよね。どういった声をかけたのでしょうか

それ、よく聞かれるんですよね(笑) 5点差に迫られたということでピンチかと思われますし、実際そうでしたけど、仲間内でよく言うのが"自分達の得意としているせり際の試合を楽しもう"というのがあって。その点差になったときも楽しむことしか考えていませんでした。そのときにちょうど野田が入ってきて。僕らとしては、後半の最初のほうに点が入った際に「リザーブ組を全員出してあげよう」という思いでやってたんです。ただそれで5点差まで詰められてしまって。「出してあげたい」という気持ちが大きかったので、入ってきてくれたのが純粋に嬉しかったんですよね。あとは一緒にプレーすることが少なかったからというのがあります。僕はずっと下にいたので、同じピッチで一緒に試合することはなくて。その喜びが大きかったですね。

ー一緒にプレーする機会があまりなかった。

野田は高校選抜にも、U-20にも選ばれていたので。それで僕が下のチームにいたこともあって、あんまりやる機会がなくて。その中で最後に一緒に出来て本当に嬉しかったです。

悩んだ結果、トップリーグの道へ


ーラグビーは卒業後も続けるのですよね?

最初は企業のクラブチームでやろうというか、社業をメインでやっていこうと考えていました。ただそう決めていたところでトップリーグのクラブからお話を頂いたので、行かせて頂きました。

ーその決断に至るまで悩みましたか?

かなり悩みました。もともと最初はトップリーグとトップイーストのレベルでやりたいという思いがあったんですけど、実績と、自分が就活しているときのチームの位置が低かったので、厳しいかなと。そこで今後の人生を考えた上で、社業を優先できる企業に行きたいと思っていました。そういう人生のルートを決めたときに話を頂いたので…。

ー周りの人に相談などはしましたか?

一応、親にも相談しようかとは思ったのですけど、自分でそこは決めたほうがいいかなと。これからの人生は自分でどう生きていくかが大事だと思っていたので。周りの支えも大事ですけど、最後に決断するのは自分なので。しっかりと考えぬいた上でこのトップリーグの道にいこうと決めました。

ーでは、そういう決断をした中で、今後の目標はどういったものでしょう。

本当に、与えられたチャンスをしっかり活かしてやっていきたいというのはまずあります。これまで支えてきてもらってばっかりだったので、これからは試合の中でも企業の中でも今までの恩を返せるように、自立した社会人として生きていきたいと思っています。

ー2019年にはワールドカップもありますが。そこへの思いはどうでしょう。

ちょっと難しいとは思いますけど、チャンスは与えてもらっているので、頑張って行きたいと思います。

ーその、2019年のワールドカップに向けてラグビーを普及するのは大事だと思いますが、具体的にどういう取り組みが必要になってくるかと思いますか?

ラグビーという競技の面白さ、感動、情熱が有るという部分を伝えていきたいですよね。それに友達や知り合いの方にどんどん試合に見に来てもらいたいです。テレビで見るのと生で見るのは全然違うので、試合会場に来てもらって、試合を見てもらって。その過程を経て人気になっていけばいいなと思います。

ー最後に、牧田選手は4年生からレギュラーになったということで、今はまだ試合に絡めていない下級生の選手や、無名校でもラグビーを頑張っている高校生へメッセージをお願いします。

僕自身もそうだったんですけど、ネガティブな考えとか発言とか、そういうのが与える影響は大きいです。なので、自分のプラスな部分をうまく利用して、ポジティブに自分を磨いていってほしいですね。そしてその中で支えてもらった環境や周りの方々への感謝を忘れずに競技に励んで欲しいです。



【writer】

CSPark編集部

【プロフィール】

 

CSPark編集部です。様々な競技・大学で活躍するHOTな選手やチームを取り上げていきます。



カテゴリ:帝京大学 ラグビー部

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